第1回「教師とSSWのための学習会」のまとめ

1、教員の立場より (元中学校教員 松林陽子)

・現役時代、教師から見てさまざまな「困った子」がいたが、それを、本人が「困っている子」という見方はできなかった。その見方を知ったのは、大学院での研究の過程で、SSWと担任の双方にインタビューをしたときである。両者の違いは、(1)不登校の原因、(2) 逸脱行動への見方に現れていた。

(1) 不登校の原因について、教師はさまざまな原因を挙げ、それを重視していることが窺えたのに対し、SSWは原因については重視せず、今その子が何を必要としているかに着目していた。

(2) 逸脱行動、例えば「髪を染める」ということについて、教師は学校のルールに反することなので、教室には入れられないなど、現れた状況に基づいて行動するのに対し、SSWは、なぜ髪を染めたくなったのか、という子どもの気持ちに寄り添って考えようとしていた。

教師にとって「困った子」はSSWの立場からは「困っている子」であった。

・「困った子」を「困っている子」と発想の転換をすることは、教師にとってどういう意味があるか。

(1)その子に寄り添って考えることで、相手(子ども)を理解できないことからくる腹立ちやいらいらから解放される。

(2)しかし、家庭背景や地域資源を知るには教師には限界があり、その子を支援する他職種(SSW)との連携を必要とするようになる。

2、SSWの立場より(SW、SSW 竹村睦子)

・SSWの現状

 2008年度より「スクールソーシャルワーカー活用事業」が始まったが、現状は、資格がまだバラバラで、待遇も安定していない。ほとんどが単年度契約。

・SSWにとっては「困っている子」、「困り切っている子」との出会いである。それは子どもと環境との不適合から起こるのであり、環境をどう適合させるかを考えるのがSWである。

不登校は、かならずしも学校復帰が目的ではない。しかし、学習の保障は考えていく必要がある。

・方法は、情報収集で、そのために過去のこと(例えば不登校の背景)は知っておく必要はある。SSWの役割は3つ。(1)子どもを支援する。(2)子どもを支える家庭・学校・地域を支援する。(3)子どもを支え続ける仕組みや地域資源を創る。教師と最も違う点は、非日常の存在であり、見通しがついたら消えていく存在であること。子どもにとって教師はあくまで「僕の先生」である。

・教師が「困った」と感じる視点は重要であり、困ったと思ったら、相談して欲しい。

3 参加者より

(1)子ども本人と会えない場合

・SSWとして一年目だが、不登校の子どもに会えない中で、どうやって子どもを理解するか悩んでいる。

(竹村)会うまでに工夫する。片思いのまま、会いたいという気持ちを持ち続ける。担任の先生とチームで取り組む。例えば、ここに参加の担任の先生は、やさしいドリルを共にやることで子どもとつながった。

・地域のネットワークを紹介していただいた。教師とSSWが協働してうまくいったケースがあると、SSWへの次の依頼につながる。


(2)SSW活用の問題

・クラス内に、家庭背景に問題がある生徒が多くSSWにつなげたいが、管理職は「まず担任が家庭訪問をせよ」という。もっと気軽にSSWを活用できないのか。

(竹村)担任が子どもの事を考えていることは重要だが、家庭訪問を子どもがどう捉えているかを考えないと、マイナスになる場合もある。

・SSWが一校にひとりいれば相談しやすいが、管理職を通しての依頼なのでつながりにくい。

・コーディネーターとして、つなぐ難しさを感じている。最後まで見届けられない、教員としての限界がある。

・特別支援級の教師一年目だが、どうしていいかわからないまま終わっている。

・外部支援員の予算でSSWに入ってもらい、登校支援(特別支援級の場合、不登校は家庭の問題)もSSWが入ったことで違う方向に動いていった。保護者支援は、担任には難しく、福祉的支援が必要。

・管理職は学校評価があり、不登校、いじめなど認めにくい。養護教諭の方が理解しているのではないか。

・以前教員向けのアンケートで、外部の力を借りることを拒否する教員が多いことを感じた。

 学校は家庭を知らない。そこを専門家に任せようという思い切りが難しい。

・SSWも一枚岩ではなく、いろいろなアプローチがあるので、うまくいかなかった事例に当たると次につながらない場合もある。逆にうまくいった体験があるとまたお願いしようという気持ちになる。

・SSWをどうやって育てるかも重要な視点である。

・SSWは問題を解決する人ではなく、問題解決のお手伝いをする人であるので、すべてを託すというのではない。学習権の保障をするのは学校、生活者の視点をもつのはSSW―その両輪が必要。今、生活問題が全部学校に投げかけられている大変さがある。そこを専門職に頼もうという発想が必要ではないか。