第5回「教師とSSWのための学習会」のまとめ

第5回 教師とSSWのための学習会 まとめ

2019/8/4  於 成城ホール集会室A・B

テーマ;不登校の子どもにどう向き合うか~保護者の立場から~

報告者;高校1年生の母親

参加者; 

小学校教諭2名、
中学校教諭1名、
高校教諭1名、
SSW2名、
学童指導員3名、
子ども家庭センター職員1名、
保護者1名、
法人スタッフ3名、
計14名

1 報告 不登校の保護者の立場から

1)子どもの状況

3歳のとき、広汎性発達障害と診断され、療育を受けてきた。

小学校の1年生の時から個人的に話せばわかるが、言葉で一斉に指示されることを音としてしか理解できないなどの困難があった。

2年生のとき、学校から「お子さんが、頭の中で自分を攻撃する声が聞こえると言っている」と連絡があった。

学校の中は言語を中心にして動いているので、子どもには生きづらさがあった。

言葉で表すことが難しいため、感情を絵で表すカード(資料)を使って、子どもの思いを把握した。

2)親としての気持ち

「学校は行くべきもの」という思い込みは続いて、吹っ切ることはできなかった。

5年生になるころには、週一度給食後に登校という形での登校が定着した。

同時に学校以外の場所も探し、通級学級、デイサービス、寺子屋等に行き始め、「(学校と)違う場所でもいい」と思えるようになった。

励ましとなったのは、小学校の副校長先生の「他の所に行っている日もすべて出席にする。だって、○君だって頑張っているんですもの」という言葉。

フリースペースの先生の「‘大丈夫’をお土産に持ち帰ってください」という言葉。

そして、寺子屋での「学校に行かない時間をいかに豊かに過ごすか」という言葉だった。

学校に対して疑問に思っていることは、連絡帳に書いてあることを子どもが理解していないということを担任に伝えても「大丈夫ですよ。」と返されたこと。

本人は大丈夫なんかではない。

先生にとっての「大丈夫」だったのではないかと思ってしまう。

宿題の漢字練習帳を、本人も親も大変な努力で仕上げて提出したが、丁寧に見てもらえていない気がして悲しかった。

しかし、家では通信での学習(チャレンジ)を6年間やり通し、テストも60~80点くらいを取れていたので安心している面もあった。

3)中学に入って

入学後10日間は通い続けて「もう無理」となった。

週2日担任の取り出し授業を1時間ずつ行う形となった。

この頃、チャレンジを自分でやることが難しくなってきた。

そのことを責めるようなことを親が言ってしまい、「もう死ぬしかない」と包丁を自分に突きつける事件が起こった。

翌日親が謝り「これからはどこにいくのも自分で決めていい」と話した。

今まで通っていたところにも行かなくなっていたが、2ヶ月くらいして、少しずつ今まで行っていたところに行こうかな、と言うようになった。

家での約束は「朝起きて、夜は寝る」「1日1回はどんなに短くても勉強する」「タブレットは寝るときリビングに置く」という3つ。

2~3ヶ月で笑うようになり、声も聞けるようになった。

中2以降は落ち着いて、2学期以降、週一回放課後担任にプリントをもらいに行く、テストは受ける、ということにした。「学校は引退したくない」と言い、在籍は本人にとって大事だとわかった。

3年2学期より受験の準備が始まったが、今まで行っているところに通い続けられることが条件で、進学先を探した。

受験対策について3ヶ所の通っている場所のスタッフが話し合って役割分担してもらえたことに感謝している。

今は自分で選んで週2日通う通信制の高校に通っている。

4)今思うこと

あの事件があったことで、親としての根底が覆された。

その前は「学校は行くもの」という呪縛から離れられなかった。

今は、笑うようになり、人のことも見られるようになって、子どもが「生きているな」と思える。 

2 出席者からの質問・感想

Q; 事件があった後、自分から動き出そうとした○君は力強い子どもだと思った。何をきっかけに前に進もうと思ったのか。

A; 母親の態度の変化だと思う。本人はその時のことをあまり覚えていないと言っている。

Q; お母さんの支えになったものは何か?

A; 学校だけを見ていてはお先真っ暗だった。通級に行くようになって生き生きしてきた。子どもを理解して、初めて次に行くことができる。

Q; 本人に今後どうしてほしいと思っているか。

A; 自分はこれならできるということがわかって、最終的には「自立」することを親として願っている。

Q; 不登校の子どもにとって、周りの子がどう関わるか、例えば手紙を書いたりすることがいいのかどうか迷うところがある。

A; うちの場合は負担に思うだろう。自然に受け入れてくれるのが理想である。

Q; 福祉と教育のつながりについて考えてきた。「確保法」はできたが、不登校からひきこもりになる場合とならない場合の違いは何だろうかと考えると、週一回でも月一回でも社会につながれることが大きいのではないか。

親の意識の影響が大きいが、実際には親自身が精神障害だったりする場合もある。一番関わるのことになるのがSSWかと思う。いろいろな居場所を探した親御さんの姿はすばらしい。

A; 不登校の原因が発達障害なのか、甘やかしなのか迷いがあった。いろいろな居場所を探したのは、親として自分も頑張っていると思うことで、自分の逃げ道としていたのかもしれない。

子どもは、「言葉にできない」ということも言えない。前は駐在所の前も‘学校に行っていないことで逮捕されるのではないか’と思って通れなかった。今は「僕は不登校のベテラン」と言えるようになり、自分が不登校であることを認められるようになった。

 

  • 自分も不登校だったが、その当時は自分のことがよくわからなかった。今は○君が小学校時代困っていたことがよくわかる。
  • 家族の抱えている苦しさを知った。特別支援級の担当として、担任とつなぐ難しさを感じている。しかし横糸は大事で、きめ細やかな対応が必要だと思う。
  • 小学校に常駐のSSWだが、担任の先生の隣にいると、忙しくて機械的に○付けをしている姿が目に入る。しかし気持ちが大切。本人を真ん中にした支援はSSWの仕事と考えている。
  • 先生も教えてもらわないとわからない面がある。でも忙しさの中で必死にやっていることも理解してもらいたい。学校がすべてではないが、学校に来てくれないと、何もしてあげられない。
  • かつて通級学級の担任だった時は、親の思いを担任にどうつなぐかが課題だと思ってきたが、自分が通常級の担任になると、37人いるクラスの中で、困っている子にとってと他の子にとってどうするかの折り合いをつけるところが難しい。話し合い、相談が大事。
  • お母さんの息子への愛情に感動した。自分にも不登校の知り合いがいるが、支えになりたい。
  • 小中学校の間は不登校はなかなか認められず、高校の通信制でやっと学校に行かない事が認められる。家族がしっかりしていなくても受けとめなくてはならない。それには福祉と教育が一緒にスキルアップしていくことが大事である。今、法人で‘親カフェ’も行っているが、目的は「お母さんのせいじゃない」と伝えることと、子どもの不登校を経験した先輩の親の話を聞けることで、「将来はそうなるのか」と見通しをもって話ができることだと考えている。