不登校支援のための勉強会 第五回記録

第5回 不登校支援者のための勉強会

2019/1/17

於 日大文理学部

テーマ スクールソーシャルワークを知る~スクールソーシャルワーカーの立場から~

講師 スクールソーシャルワーカー 中島 淳先生

最初に、参加者から聞きたいことを聞く。(省略)

〈自己紹介〉
 2007~ JUN教育事務所を立ち上げる
 2008~2013 東京シューレ葛飾中学校スクールソーシャルワーカー
 2007~ 〈ひきこもり〉と共に生きる会 20代から80代までの方対象
 現在 特別支援学校、墨田区・葛飾区他で、スクールソーシャルワーカー

  *常勤の職業ではないが、食べていけます!

〈中島さんのお話〉

1 スクールソーシャルワーカーの役割

2008年に始まった当時は、SSWのことを知っている人は一割程度、今は八割は知っているので、「ツチノコ(いるかどうかわからない)」から「オオサンショウウオ(いるけど、どうやったら出会えるの?)」という存在くらいまで進化したと感じている。

2008年に突然SSW活用事業が始まった。

役割は①関係機関との連携・調整 ②環境の問題に働きかけること、とあり、福祉の現場や文科省のホームページでも「連携」「環境」という言葉は頻繁に出てくるが、言葉の内実がわかっているか。

今でも、学校から「どこにもつながっていないお子さんなので病院につないでください」と言われることがあるが、そもそも子どもが何に困っているのか、家庭で何が起きているのか、学校でどうしているのか等を見なければ、ただその子を病院に連れて行くのは解決でも何でもない。

それを支援者自身がわかっていないと、どこかへ連れて行ったり、学校に連れてきたりの単なる登校支援員になってしまう。

ベースにある「福祉の理念」や「ソーシャルワークが何か」を踏まえていかないと、危険だと感じている。

(1)スクールソーシャルワーカー活用事業実施要領(平成25年4月文部科学省)

事業の趣旨

 活用事業の趣旨は「いじめ、不登校、暴力行為、児童虐待など生徒指導上の課題に対応する・・・」ために「教育分野に関する知識に加えて福祉職の専門的知識・技術を用いて」とある。

しかし教育分野と福祉分野の両方の知識のある人はなかなかいない。

スクールソーシャルワーカーの選考

 
SSWの選考としては、「社会福祉士、精神保健福祉士という福祉に関する専門的名資格を有する者」が望ましいということで始まった。

しかしそれらの資格を持っている人に出会うことは少なく、養成課程もない中で教育と福祉の両方の知識をもっている人を探す事は難しい。

2008年に始まっていろいろな人が現場に出たが、課題も多かった。

要綱も変わってきていて、今は、資格を持っていることが前提となっている。

が、資格を持っていても、また、高齢者福祉をやってきた人が学校で活動できるか、というと難しく、選考の段階でそれがわかっているかというとそういう訳ではない。

日本社会の中でSSWが職業として確立していなかったり、養成の課程がまだしっかりしていなかったりしてなかなか難しい、ということが大前提としてある。

生徒指導提要(平成22年3月)。学校教育法施行規則の一部を改正する省令(平成29年3月)

SSWという言葉は、学校文化の中では「生徒指導提要」に平成22年に入ってきた。

この中には「教育相談」というところにSCとともに、SSWがどういう人かが書かれている。

また学校教育基本法の施行規則の一部を改正する省令が平成29年に出て、その中にSSWという言葉が入り、学校の支援者の一人として位置づけられたという歴史的背景がある。

ただ、ここにある「連携」「環境」という言葉が何なのかわかっておらず、イメージでしかない。

「学校等における児童虐待防止に向けた取組について」(報告書)(平成18年文部科学省)

 

平成18年に「学校等における児童虐待防止に向けた取り組みについて」が文科省から出ている。

その中に「・・・スクールソーシャルワークでは、職業的価値観である『人権尊重の理念』のもとに、『問題解決は、児童生徒、保護者、学校関係者との協働によって図られる』と考える。

SSWは、問題解決を代行する者ではなく、児童生徒の可能性を引き出し、自らの力によって解決できるような条件作りに参加するというスタンスをとる」とある。

エンパワメントですね。もともとの福祉の理念はここにある。

「第二に、問題を個人の病理としてとらえるのではなく、人から社会システム、さらには自然までも含む『環境との不適合状態』としてとらえる。」

この子が不良だからとかこの子が病気だからというのではなく、まわりとうまくいけばこの子だってやれるよね、ということで、「個人が不適合状態に対応できるよう力量を高めるように支援する」

―エンパワメントの延長で本人の力量を高める、あるいは自信を付ける。

そして、「環境が個人のニーズに応えられるよう調整をする」

―例えば、学校が求めるものを少し下げてもらったり、お母さんの態度が変わったり、社会の制度を利用したり、と周りを整えてあげることも支援になる。

これはSSW活用事業が始まる前に出されたものだが、とても大事なことが書かれている。

ここが抜けるとソーシャルワークではない。

ただ、学校現場では、不登校を減らすというニーズの中で、迎えに行くだけのSSWが中にはいたりする。

「スクール+ソーシャルワーカー」

 

スクールソーシャルワーカーというのは、学校現場で活動している「ソーシャルワーカー」。

だから理念は当然あるのだが、できているかというとまだまだである。

「子ども達がよりよく生活できるよう子ども達の声を聴きながら周りの環境を整える」ことなので、不登校を減らすとか病院に連れていくということが目的ではない。

(2)ソーシャルワークとは

ソーシャルワークの定義(国際ソーシャルワーカー連盟2014年)

「ソーシャルワークの定義」は「社会変革、社会開発」とある。

例えば、一人で学校に行けない障がいをもつ子どもがいて、親が送り迎えが出来ない場合、それは子どもの問題ではなく、社会のサービスや体制の問題である。

だから「環境調整」というのは、家庭環境や学校の友人関係だけでなく、もっと大きな「制度」というところまで「環境」という見方ができる。

あとは、本人の力を高めることも支援につながる。

子ども達の可能性を信じていくというのも私たちに必要な事であるので、子どもの代わりに全部を代行してしまうことは子どもの力を削ぐことになってしまう。

どこまでできるのか、と一歩引いて見守ることも大事。

子どもが失敗したときに、こんな方法もある、と伴走していくことがソーシャルワーカーに求められていて、自分が連れて行くことが解決というのは違う。

ソーシャルワーカーの倫理綱領(社会福祉専門職団体協議会)

 

ソーシャルワーカーの倫理綱領に、「人間の尊厳」として、「ソーシャルワーカーはすべての人間を、出自、性別、年齢、身体的精神的状況、宗教的文化的背景、社会的地位、経済状況の違いに関わらず、かけがえのない存在として尊重する」とあるが、当たり前のようでこうできているかというとそうでもないことがある。

私は子どもに接するとき、常に敬語で話す。

それは年齢によって相手を差別、区別しないというところから来ていて、小さい子でもわかるように丁寧に説明していく。

その人と近づきたいというときにあえて敬語を使わないこともあるが、基本はどんな人でも同じように接していくのが大事なことだと思っている。

そうすると自ずと本人の話を聞かずに進めることはなくなっていくので、本人のニーズをどうやって活かしていくか、という発想になる。

それ以外にも倫理綱領には「社会正義」があり、「差別、貧困、抑圧、排除、暴力、環境破壊のない・・・社会正義の実現を目指す」とある。

例えば、いじめなどの差別の状況をみたとき、見て見ぬふりをするのはソーシャルワーカーではない。

非常に難しいことを求められている専門職である。

だから、私は一日一回は倫理綱領を見ようと手帳の中に入れて、常に見るようにしている。

見たときに今自分のやっている支援ってこれでよかったのか、ずれていないか、大人のニーズだけで走っていないか、振り返る。

「倫理綱領」はソーシャルワーカーの原点なので、ぜひ皆さんにも見て欲しい。

  • 「貢献」―ソーシャルワーカーは、人間の尊厳の尊重と社会正義の実現に貢献する。
  • 「誠実」―ソーシャルワーカーは本倫理綱領に対して常に誠実である。
  • 「専門的力量」―ソーシャルワーカーは、専門的力量を発揮し、その専門性を高める。

社会はどんどん変わっていくので、常に情報を収集しながら子ども達の環境を整える努力をしていかなければならない。

私は文科省と厚労省のメール配信に登録していて、毎日2回送られてくるのに目を通す。

すると制度的に変わった部分や、今どんなことが委員会で話されているのかがわかるので、新しい施策が今の子ども達に適用できないかと考えている。

だからソーシャルワーカーは社会福祉士をもっているだけでできるのか、というとそうではない。

ソーシャルワーカーの根源を大事にしていかないと、子供支援はどんどんずれていってしまう。

ソーシャルワーカーの活動

①人と環境とを調整する機能 

②人の対処能力を強化する機能―子ども自身やご家庭の力を高めたり、本来もっている力を引き出せるようにすること。

③環境を修正・開発する機能

―子どもの居場所がないのだったら、地域のなかで「子どもの居場所をつくりましょう」というアクションが必要。

私も地元で活動している中で、親の会を立ち上げたり、子どもの居場所をつくったり、既にあるNPOの活動がもっと幅広くなるようお手伝いすることがある。

地域を作っていくことも我々の重要な役割になるので、個別支援だけでなく、社会を作る、変えていくというところまでがソーシャルワークになる。

学校現場ではどうしても個別支援だけになりがちだが、ここまでの視点がないとソーシャルワークは出来ないと思っている。

(3)子どもを真ん中にした環境調整

スクールソーシャルワーカーの視点

学校の中で活動するSSWの視点としては、不登校でも、問題行動があっても、障がいがあっても、どんな子どもも“かけがえのない存在”ということ。

その子の声に耳を傾けるという作業がとても大事になってくる。

この辺りが自治体によって様々で、SSWの役割が不登校の支援だけと限っているところもある。

虐待や非行の子どもにはなかなか出会えない。

ある地域では、依頼が多すぎて、一校一例までと制限しているところもあった。

地域によって差はあるのだから、数でコントロールするのはおかしい。


実際関わっている中で、不登校のお子さんの支援が多い。

ただ非行、発達障がいのお子さん、精神疾患をもっている方との関わりもある。

非行だからといって一歩引いてしまうのではなく、困っているならいつでも相談にのるという専門性を身につけて、説得力をもって学校や教育委員会と連携していかなければいけないと思っている。

葛飾で活動して8年目になるが、初めの頃は家庭訪問が禁止だった。

それはSSWが始まったばかりで、何者かわからない中で、単独で家庭訪問をさせるというのは、制度的に言えなかったのだろう。

最初の一年は、先生達と連携しながら、こんな支援が出来たらもっとこの子を救えるのだ、ということを教育委員会に文書で報告し続けた。

すると、その年度の終わりくらいから家庭訪問をしてもいいという許可がだんだん得られるようになってきて、「家庭訪問したからこの子のこういうところがよくなった」ということを報告するようにしたことで、家庭訪問が効果的だということが認めてもらえて、今では当然家庭訪問するものだ、となっている。

初期の頃、他の自治体のSSWは家庭訪問できるのに、自分の自治体でできないのは力量が足りないから、とすごく悔しい思いをしたこともあったが、SWは、子どもの環境調整をすることも大事だが、自分達の環境調整ををすることもすごく大事で、新参者が理解してもらうには、こんなことができます、こんなことが大事です、と説明していく必要が出てくる。

SWはこんな人です、と私たち自身が言葉で説明できないと、学校文化の中で理解してもらうのは難しい部分がある。

何か突破できない課題があったときには、周りの環境が悪いのではなくて、もっとわかりやすい伝え方を私たちがすればいいのだとか、自分達が伝えられないのなら、係長を通して伝えてもらおうとか、自分達の周りを調整していくことも、結果的に子供支援になっていく。

私たちの仕事は子どもを直接支援していくこともあるけど、周りの大人とやりとりしていく能力がないと厳しいなと感じている。

それが専門職として私たちが背負っていかなければならないところだと思う。


中三の秋で不登校というと、サポート校や定時制を示すことがあるが、それは大人が知っている選択肢を示しているだけ。

本人のニーズを聞いて、その子の夢が実現できる方法があるのなら、最大限模索する作業はなければいけない、と思っている。

出来る限り本人の希望を聞き、ダメだったら次を考えようというスタンスでいる。

私たちは資格があって専門職なのではなくて、出会った子どもたちから教わることは日々たくさんある。

同じ子どもは二人いない。

それぞれの子どもから教わることは無限大で、いつまでも、専門職になっていない、プロになっていないという思いは私の中にあって、自分が知らない故に子どもを助けられなかったらだめだ、と思って常に子どもの声に耳を傾けながら、また国が出している制度に耳を傾けながら、いまこの子の最善は何だろうと探りながら調整を担っている。

問題を個人のせいにせず、社会との関係で考える。

ミクロ・メゾ・マクロで捉えることができなかったらSWではない、と考えている。

環境を変えることで、子どもの苦しさを軽減することが出来る、そのことを大事にしている。

よりよく生きるために共に考える―これは大人の回答を押しつけたりするのではなくて、一緒に考えていく作業がベースになっていくと思っている。

SWの作業

人に働きかけるというのは、本人の力を引き出していく作業。

力をもっていない子どもはいない。もともと持っているのだけれど、今の環境の中で発揮できなくなっているだけだ。

だからこの子が持っている本当にいいところが出せるようにお手伝いするところからエンパワメントしていく。

環境への働きかけというのは、子どもが過ごしやすくなるように、学校やら家庭やらの環境を改善していく。

不登校の子どもが学校に行くのはハードルが高い。

そういうとき、放課後行く、授業の合間の誰にも会わないときに行く、裏門からこっそり行く、先生に玄関まで迎え出てもらうなど、事前に調整できるならした方がいい。

これらは大人の問題で本人がどうこうできないことだ。

ただ、ベースには子どもの力や思いがあって、そこを抜かすと大人の独りよがりになってしまう。

そして、人との環境の間がうまくいくようになれば、私たちが手を離してもその子はその環境でやっていける。

いつまでも私たちが伴走して介入しなくてはいけないのなら、それは子供支援にならない。

よく支援者で、「この子は私がついているから大丈夫」と2~5年も支援している方がいる。

そうしなくてはいけない状況もあるかもしれないけれど、最終的に手を離しても本人が生きていけるようにするのが支援者だと思っているので、淋しかったり自信がなかったりするときもあるけれど、子どもに一歩進んでみようか、と少しずつ離れていく作業が大事だと思っている。

SSWは非日常の存在なので、どこかで手を離していくことが私たちも出来ないといけない。

環境の要素

子どもがいて、そのまわりに家庭があり、その周りに学校や地域、もっと周りには社会制度や法制度がある。

ミクロレベルでは、子どもと家庭、子どもと学校の間の調整をしたりする。

メゾレベルでは、地域で居場所を作ったり、地域の大人で見守ったり、地域の子ども食堂につながったりする。

もっと大きな社会制度に足りないところがあったら、専門職団体を通して意見書を出すというところまで含めてソーシャルアクションだが、ハードルが高いと思っている方が多い。

ただ専門職なので私たちはやらなくてはいけない。

最初に言った「連携」「環境調整」と言ったときに、子どもが学校に行けるように、子どもが家庭で安心して過ごせるように、という意味で「環境」と使われやすいのだが、本当はこれらの全部を含んで「環境」である。

2 不登校支援の実際

ソーシャルワークの支援の過程

  学校現場では、入り口としては学校から話を聞くことが多い。

その後保護者、本人と会えれば本人と話して情報を整理しアセスメントしていく。

そこで情報が出てくればいいが、そうでなければ、最初は話を聞くことがスタートかと思う。

もしかすると、迎えに行くことが支援かもしれないが、その過程で話が出れば、そこで戻って方向修正しなくてはならない。

書類を毎回作るというのではなく、皆さん、頭の中で常に情報から計画修正しているのではないか。

問題が解決して終結というのが理想だと思うが、今それは難しく、中三の段階で卒業したら教育委員会として関われないので終わりと言うこともあるかと思う。

だからその先も考えて支援計画を立てなくてはいけない。

地域の中で誰かにつなぐという作業は必要だ。

そのためには、学校の中の活動だけでなく、地域のネットワークの活動は大事である。

これは日常から築いていないとできるものではない。

今の自治体で行政のいろいろな機関の人たちとは顔がつながったので、どこどこの誰々さんのところに行ってごらん、と言えるようになった。

ただ行政は異動があるので、定期的に今必要のない機関にも顔を出して挨拶をするようにしている。

子ども家庭支援センターや児童館だけでなく、保健所、福祉事務所、保育園を担当している子ども課、高齢者支援の包括支援センターなどにも寄っていると、向こうから相談がくることもある。

それを自分だけの財産にするのではなく、核になる人がいなくなっても、つながりを続けられるよう情報提供する。

そうすると何かあったときもその子をみんなで支えられる。

今の自治体では、週に一度はみんなでケース検討をする。

だからみんなのケースを知っていて、誰かが倒れても他のワーカーがカバーすることが出来る。

“自分だけで支援はしない”というのはすごく大事。

クライアントを抱えがちだが、そこを常にオープンにしてネットワークをつないでいくことが大事だと感じている。

〈質問〉

先ほど、頭の中で支援計画の変更とおっしゃったが、変更は、一人だけでやるのか、他の人と共有するのか。

→自治体によっても違うが、うちの場合は書式を作っている。

週一回のミーティングの時、他のワーカーから「この視点が抜けていないか」など指摘が入るので、みんなで共有している。

本来は、学校の先生や本人も交えて行うのが理想だが、現場ではなかなか難しい。

最初に、教員個人とつながったりという接点があれば予防的に入ることも出来るというお話があったが、実際にそういう接点はあるものなのか。

→今、SSWは一つの区市町村に五人くらいいればすごく多いくらい。

例えば葛飾区は、子どもが3万人くらいいて、SSWは4人なので、年間に出会える子どもの数は限られる。

学校からの緊急性の高いオーダーがくるとそこが優先になってしまい、予防的な関わりはなかなかできない。

だから人が増えるのも大事だと思っている。

ただ、それを担える人がいないので、養成もしながら増やしていかなければならない。

それも実務の中で養成していかなくてはならないので、常勤でSSWが何人もいるという中でないとなかなかできない。

葛飾は、実習生を毎年3,4人受け入れている。

ただ、(その人たちが)現場には来ないで、一般就職されていく。

すごくむなしいが、世の中のシステムがそこまでいっていないので、私たちが発信していかなくてはいけない、と思っている。

予防的なことは人材が多い自治体でないと難しいのかな、と思う。

学校で大変な子がいても、忙しそうな中、SSWにたびたびオーダーしてもいいのか、と思ってしまうのだが。

→それはワーカーが判断することで、必要があればぜひ声を上げて欲しいと思う。

SSWから、環境が変わったので知っていてほしい、と学校側に発信することもある。

・支援の終了は、どういう場合か。また、他地域に引っ越した場合の小中のつながりは?

→支援の終了は、課題が解決したときが一番の理想だが、そうすっきり解決するというのはなかなか少ない。

同じ自治体の場合は、SSWを継続できるよう学校間で引き継ぎをしてもらう。

小学校から申請書を出して、中学校でも出してください、とお願いしてもらう。

他地域にというのは難しい。

学校同士で引き継ぎしてもらうのがベース。

SSWは区市区町村ごとに配置されて、業務の内容も(不登校だけ対応する自治体と、何にでも対応する自治体というように)違ったりするので、難しいところがある。

そういう意味で、日本全体でSSWのありようが検討されるといい。

不登校の終結の形は、学校に戻る以外にどのような形があるのか。

→学校に戻れるのは確かに一つの終結の形だと思う。

昨年度学校に戻れた例があったが、それは学校の先生がハードルをものすごく下げた。

引きこもっている小学生で、私が会うようになって、一緒に学校に行くようになってそこに至ったわけだが、まずは来るだけでいい。帰りたくなったら帰っていい、と送り迎えも先生達がやってくれた。

理科の実験を個別に非常勤の先生がやってくれたり、給食だけ仲のいい友達が相談室に来ていっしょに食べてくれたり、少しずつ本人もやれるかな、と思って通えるようになったケースがあった。

ただ、これはレアなケースである。

 不登校の終結としては中三の段階で進路が決まって終わり、ということが多い。

義務教育が終わるというのは子どもにとって、シビアで悩む。

やっぱり高校は行きたいな、勉強はしたいな、という本人達のニーズが出てくるので、そこで自分のことを振り返ることが出来る子どもは、進んでいける場合が多い。

  中三で、友達のからかいからそれまでほとんど学校に行っていなかったお子さんがいた。

学校や受験の話は最初はできなかった。

本人は知恵の輪が好きだったので、毎週難しいのをひとつ置いていって来週までに解いておいて、というと、次にいったときにバラバラになっていた。

一ヶ月半そのやりとりの後、これからどんなことしたいのか話し合うと、理科の実験が好きなことがわかった。

それが出来る高校を探そう、と週三日のサポート校を紹介し、一回本人が見に行った。

それで高校進学のイメージが変わり、生きていける方法があるだ、と気づいた。

進路の方向が決まって、「何かあったらセンターに電話していいからね」という形で終わったケースがある。

進路を決める中三の段階は大きな山。

不登校だから、本人も希望していないからこのままでいいや、というのは大人として考えなくてはいけない。

中三は一生に一回しかないので、このタイミングで受験するのと、その後受験するのでは意味合いが違ってくる。

20歳で、大検受けて進学した子どももいる。

しかし、知っていて選ばないのと、知らなくて選べないというのでは違う。

自己決定、自己選択は情報がなければできない。

中三の子が、「自分は高校進学しない」と言っているのが、本当に自己選択なのか、周りの大人はよく考えなくてはいけない。

本人がわかる形で情報を得て、納得して選んでいるのか。

また、フリースクールに週三日ほど元気に通えるようになり、そこから学校に文書で報告があったり、保護者が担任と情報を共有したりして、学校としてもそれでOKだと、支援終結になった例もある。

また、子ども家庭センター、生活保護、保健所など他のネットワークの中で家庭が安定し、不登校が解決したわけではないが、この家庭は大丈夫となったときに、一歩引いていくこともある。

本当の解決は、学校に行くことではなく、地域の中でその子が生きていくにはどうしたらいいか、5年後、10年後に安定して生きていくにはどうしたらいいのか、そのために今中学校に行くことが必要か、進路をどうすることが必要かを一緒に考えていかないと、目の前のことだけ考えても終結は難しい。

非常勤でなぜ続けられてきたのか。SSWは黒子であるのに、やり続けられるのはなぜか。

→子ども時代、転居が多くなかなか環境に適応できなかった。

小5のとき校内で弱い子に対するいじめがあって、それを止めに入ったけれど、他に誰も止めてくれなかった。

当時の担任の先生も言ってくれてはいたと思うがどうしようもなかった。

その時、大人は信用できないけれど、自分は間違っていることは間違っていると言い続けようと決心して、それを消しゴムに刻み込んで持っていた。

「自分が大人になったときに、子どもから見られて恥ずかしくない大人でいたい」と思った小学校五年生のときの思いが自分の原点である。

今でも昔の自分が後ろにいて、恥ずかしくないか問いかけてくる。

手を抜いたり見て見ぬふりをしたら、子どもの頃の自分が見ていて「これって言われるよな」というのが日々あるので、倫理綱領を見直して、大人として、人間として、自分が得られなかった者を子ども達に届けたい、と思っている。

 また、大学生の時、家庭教師として初めて不登校の子どもの支援をしたことがあり、そのとき、学校に行かせたい、と思ってしまった。

子どもの時、寄り添いたいと思っていたのに、その自分が子どもを追い詰めていた事実に後から気づいた。

今でもその子と連絡をとっているが、その後謝罪をして、その子から力を貰っている部分もある。

  高三の時、いじめの集会に参加した。

子どものいない場で大人だけで話し合ってどうなのですか、と発言したら、会場にいた中二の女の子が、「今いじめられているが、あの人に話を聞いてもらいたい」と主催者に問い合わせて、突然その子から電話がかかってきた。

その子の相談にずっとのることになって、今でも続いている。

このようにいろいろな人に力をもらって今がある。

2007年に個人で開業したのもそんな思いからだ。

2008年にSSW活用事業としてぽんと始まったときに、自分が今までやってきたことが職業としてあるの? というのが驚きだった。

個人ではなかなか出会えないが、行政の中にいれば、たくさんの子どもに出会うチャンスがある。

自分が子どもたちを支援することができるなら命かけてもやりたいと思ったことで、2008年から現場で活動している。

最初家庭訪問がダメだと言われた中で、どうやってできるようにしていったのか。

→最初は、知ってもらうことがすごく大事。

成果を、変化や数字を具体的に示していかないと行政は変わらない。

関わっている子どもで、こういう子がいて、こういう風に関わっていくとこういう風に代わっていくと指導主事や周りの人に伝えたり、特別支援の係長に伝えたりしていった。

SSWは前例がないものなので、いいですよ、となかなか言いにくいところだったと思うが、最初は学校の先生と訪問を許してもらうとか前例作りをして、動いたらこんな効果があった、と気づいてもらって、家庭訪問が当然、という流れになっていった。

その一方で、今「家庭訪問する人」と思われている。

SC家庭訪問できないのでは、SSWが行って、というニーズがある。

家庭訪問が役割なのではなくて、必要があるから家庭訪問するだけなのだ。

学校で会った方がいいお子さんもいる。

だから、私たちも家庭訪問しますよ、という説明ではなく、子どもの環境を調整します、そのために必要だから家庭訪問をする、という言い方をしたほうがいい。