第二回 不登校支援のための勉強会
2018/10/18 於 日大文理学部
「小学校を知る~小学校校長の立場から~」
講師;世田谷区立東深沢小学校長 草開宣晶先生
私は不登校の問題の専門家でもないので、今日は、私が仕事しているところを一緒に共有してもらえたらと思っています。
1 自己紹介・教員になって感じたこと
中学校の数学の教員として昭和57年に入都。ちょうど中学校が荒れていた時代で、自分が頑張るぞ、と夢を膨らませて教師になった。暴走族などがいっぱいいる社会背景もあって、校内で徒党を組んでいるのが20人以上いる状態だった。そのとき、生活指導主任が主導で、‘将来を悲観している子どもたちに将来に目を向かせることで校内を正常化しよう’と、放課後の勉強会を始めた。具体的には、6時頃から若手の教員が生徒に招待状を出して、学校に来いというのだが、来ても態度が悪く教員とケンカになったりする。しかし毎回教員が対応の仕方について反省会をやったりするうちに、生徒も教師が本気だということがわかってきてだんだん勉強するようになった。進路希望も言うようになり、信頼関係が生まれてきた。が、そのとき学年主任に「やんちゃな子がやりたい放題やって、放課後も面倒見てもらうというのは逆差別だ」と言われ驚いた。学校現場にはいろいろな考えの人がいると思った。
2 現在の荒れた学校の構図と改善のために行ったこと
学校には支援を必要とする子どもがたくさんいる。問題をおこすには必ず理由があるが、言語化できない。そこをていねいにやっていかないと、教員の言うことを聞かなくなり、二軍の子どもたちが騒ぎ出す。そして、まじめな連中が「なんでいつも先生は○○君だけ相手して、私たちを相手にしてくれないのか」と不満を持つことになる。このような構図で荒れてくるように思う。
私が赴任したとき、解決されていない事案が4件ほどあった。いじめが解決されない。当事者の保護者に情報が入らず孤立している。すると、学校がいじめを肯定しているのではないか、助長しているのではないかと言われた。そこで、いじめ防止プログラムの講師を呼び、学校の姿勢を保護者に示した。また、いじめがその後に継続しがちな3,4年生からの人事については特に丁寧にやっている。
小学校に校長として入ってびっくりしたのは、教員が授業規律をしっかりさせようと、上から目線で、立って子どもに指導することが多かったことだ。それまでの中学校では、生徒と目線を同じにするとか、座るときも正面でなくL字になって話すというようにしてきたのに、小学校でそうでないことに驚いた。
それと規律ばかりに一生懸命になって授業研究をあまりしっかりやっていない面があって授業が面白くないという声が保護者から上がっていた。小学校は研修が盛んだが、授業に活かされていない。これは学級経営の問題で、子どもとの接し方をどうしたらいいか、ということだ。そこで、大学の先生に入ってもらって、授業をみてもらったりした。
また緒機関との連携ということで、子ども家庭支援センター、児童相談所、警察・・・いろいろなところと連携してサポートしてもらっている。簡単なようだが、手を携えてやっていくには、本当に‘人’だと思っている。
騒いでいる子の支援のボランティアとして1年目は地域の方に支援をしていただいた。しかし学校の中で、助けてもらう人はありがたいが、関係ない人は「誰?あの人」という感じで受け入れに違いがあった。そこでボランティアの紹介をボードに貼ったり、出身を言ってもらったりしてみんなに覚えてもらった。ただ2年目には、ギブアンドテイクになるように、将来教員になろうという方にお願いしたいと、日体大にボランティア登録をしていただいて、今三名の方に来ていただいている。
それから学級力向上プロジェクトとして、学級力アンケートで、自己診断をすることを通して学級づくりをしていった。学級のレーダーチャートを作って弱いところを直していくことをやっている。若手だけでなくベテランの先生も含めてみんなで取り組むということで、いじめ問題などにも学年全体で弱いところを見ていく形でやっている。
特別支援教育の研究会などで「なぜあの子は出来ないんだ」ということが聞かれるが、先ほどのつっぱりの子どもと同じで「こういうところ出来たじゃない」と評価することが大事である。最近よく言われるのだが、例えば統計で‘箱ひげ図’は20代はやっているけれど、40代はやっていない。そうするとそこに特化してどこが自分が出来ないかばかり追い求めるが、自分はここまでできているということを大切にするのでいいのではないか。
野村総研の今後の予想は、通常のバランスの取れた人より、アイディアマンが将来必要と言われている。今までは丸くすべて出来る人が求められてきたが、これからは多角的な人が求められる。支援を必要とするお子さんにも、通じることで、これまでと考え方を変えなくてはと思った。
今までの不登校の変遷は、学校恐怖症とか、登校拒否とか、不登校とかいろいろ変わりその都度その取り組みも変わっていった。昔は首根っこ捕まえても連れてくるとか、そのうち学校刺激をどう与えるかという話になった。特別支援について相当勉強している人でも、現場に入ると、「私みたいにやるのよ」と手を引いて力で指導しがちになる。不登校の子どもも支援を必要とするお子さんも同じだと考えている。一生懸命やったのにクレームがくるとがっかりするが、よく考えると相手のことをあまり聞いていなかったように思う。
いつからかかならず学校が安否を確認するということが言われるようになった。大事なことではあるが、中には会いたくないという親御さんもいる。例えば小学校4年から会っていなくて、中一になっても親御さんがずっと拒否されている方がいて、そのとき安否確認をお願いしたのが、世田谷区では、子ども家庭支援センターである。会うことだけを考えると、その後保護者といい関係ができなくなるから、突破できないというとき、すごく助けてもらったのが子ども家庭支援センターだった。かつて通報のニュースソースが学校だと言われると、家庭との関係が難しくなり、辛いときがあった。そこを丁寧に考えてくれたのが子ども家庭支援センターだった。児童相談所が今度区に移管されるが、東京ルールでやられると学校は立場がなくなるのではないかと懸念している。学校がニュースソースとされると学校に戻ったときに、学校も担任も何も出来なくなるので、今一番心配している。だから色々な形での子ども家庭支援センターとの連携をしていきたいと思っている。
3 不登校の事例 (一部)
その子は担任やSCとつながっていたが、その二人の前でいい自分を演じていて約束をするのだが、実際には出来なくなり、そのうち会うことを拒絶するようになる。SCが一番困っていた。担任はSCと一緒なので少し気持ちが楽。どうしようというときに、寺子屋みらいとの出会いがあった。現場で子どもが来なくなれば孤立化する。社会から孤立化していいことは何もない。でも誰に頼むといってもいい案がない。そのとき寺子屋にお会いしたら三人で学校に訪ねてくれ、担任とSCが話を聞いてもらった。SCは後ろに誰かがいるのだというので大喜びだった。担任・SCが話をきいてもらったことで彼女たちの関係がリラックスした。安否の確認が大事といわれ、「顔見せて」とばかり考えていたが、それが取れたら、なんだかまた会えるようになった。不思議なことに、話を聞いてもらっているだけで、担任やSCの気持ちを変えたのだ。校長の気持ちも変わってすごく楽になった。何かあったら寺子屋がいてくるというので心強い。なにか守られている感じがした。行政だけに頼っていたのでは、対応が出来ない場合があるので感謝している。
親カフェも助かっている。孤立した親御さんはなかなか相談するところがない。一週間に一度のSCではなかなか難しい。予約も取ってそれに合わせていくのだが、その予約通りに気持ちはいかない。困ったときにすぐに相談にのってほしい。いろいろ心配事をかかえた母親に親カフェのパンフレットを渡しただけで、よりどころができ、実際に行かなくてもそれがすごく大きい。
4 不登校指導、支援教育に必要な事
不登校指導、学級経営、支援教育に共通することは、ひとつは丁寧な解決を行うこと。ついつい忙しいからばばばっとやってしまいがちだが、特に小学校では3,4年で丁寧な解決を行うこと。よく話を聞いてあげることが大事である。支援の必要な子どももよく聞いてあげると、怒ることの理由がある。来て喋ったらすっきりする。話を聞いて言語化させてあげることが大事かな、と思う。
それからさまざまな機関と連携すること、助けて頂いていることが財産だ。それと最初の話と共通するが「なんで出来ないんだ」ではなく、「こんなことができたね」という視点で見てあげることが、普通の子どもも、支援が必要な子どもも、不登校の子どもも必要だと思う。それと、児童生徒の実態を適切に捉える必要がある。つまり上から目線ではだめ。的外れなことをやっても違うと考えている。
ご静聴ありがとうございました。